2008年12月25日木曜日

Merry Christmas and Happy Holidays!

今日言いたい事はこれだけ。

皆さん、
Merry Christmas and Happy Holidays!

2008年12月7日日曜日

ジングル・オール・ザ・ウェイ (Jingle All the Way)

CHRISTMASになると無性に観たくなる映画です。
子供と観たいのですが、まだサンタクロース(Santa Claus)を信じているので
なかなか「一緒に観よう」と言えません。(^^;)


ジングル・オール・ザ・ウェイ (Jingle All the Way) は、
1996年にアメリカ合衆国で制作された映画作品。
ブライアン・レバントが監督を、アーノルド・シュワルツェネッガー
Arnold Alois Schwarzenegger)が主演を務めた。
アメリカでは1996年11月に、日本など世界各国では同年12月に公開された。

クリスマス(Χ'mas)を舞台としたコメディー作品。
主人公ハワードの息子、ジェイミーへのクリスマスプレゼント
「ターボマン人形」を入手するためにクリスマス・イヴ(Christmas Eve)で賑わう街を詮索する姿が描かれる。

受賞履歴
ラジー賞(Golden Raspberry Awards)最低監督賞ノミネート(1997年) - ブライアン・レバント

関連項目
パワーレンジャー(Power Rangers)(ターボマンのモデル)

監督
ブライアン・レバント
製作総指揮
リチャード・ヴェイン
製作
クリス・コロンバス(Chris Columbus)
マーク・ラドクリフ
マイケル・バーナサン
脚本
ランディ・コーフィールド
ハリー・エルフォント
デボラ・カプラン
出演者
アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)
シンバッド(Sinbad)
フィル・ハートマン(Phil Hartman)
リタ・ウィルソン(Rita Wilson)
ロバート・コンラッド(Robert Conrad)
ジェームズ・ベルーシ(James Belushi)
ジェイク・ロイド
音楽
ランディ・ニューマン (Randy Newman)
撮影
ヴィクター・J・ケンパー
編集
ケント・ビーダ
配給
20世紀フォックス (Twentieth Century Fox Film

2008年11月23日日曜日

ギャラクシー・クエスト(Galaxy Quest)

ギャラクシー・クエスト(Galaxy Quest)は1999年公開。
ディーン・パリソット(Dean Parisot)監督によるアメリカ映画。
2000年度ヒューゴー賞(The Hugo Awards)獲得。
ドリームワークス(DreamWorks SKG)作品。

実はこの映画の存在を知ったのはごく最近です。
こういう映画が作れるアメリカの懐の深さを思い知った作品です。


概略

『スタートレック(Star Trek)』へのオマージュ全開のパロディ映画。

プロテクター号乗組員を演じる売れない俳優の二重構造に、
現実のスタートレックを絡ませた三重構造がストーリーを面白くしている。
前半ではSFシリーズと熱狂的なファンのパスティーシュで、
冷静にファンダムの在り様を描いている。
批判的にも見えるシーンは中盤からスペース・オペラ活劇(Space opera)に
なだれ込み、後半のマニア万歳で幕を閉じる。

実際のスタートレックの俳優や役に重なる部分は多々あり、
ウィリアム・シャトナー(William Shatner)演じるカーク船長の
ブリッジでの座り方から、お馴染みのセリフを言うなどのテレビシリーズの
場面に始まり、舞台で高い評価を受けている俳優をキャスティングするなど三重構造は多岐に渡る。

トレッキー(Trekkie)/トレッカーに対するクエスティー/クエスタリアンの区別がしっかりとされている。
実際エンタープライズ号の設計図や機構図が販売されており、
クエスタリアンの助けで船内の構造を知る場面などは、十分在りえる場面。
熱狂的なファン以外の一般社会の反応を描いていないところも含め、
SFオタクが製作した一流のSF映画である。


キャスト

ティム・アレン(Tim Allen)(ジェイソン・ネズミス/NSEAプロテクター号ピーター・クインシー・タガート艦長)
シガニー・ウィーバー(Sigourney Weaver)(グエン・デマルコ/タウニー・マディソン少佐)
アラン・リックマン(Alan Sidney Patrick Rickman)(アレクサンダー・デーン/ドクター・ラザラス)
サム・ロックウェル(Sam Rockwell)(ガイ・フリーグマン/プロテクター号乗員)
トニー・シャルーブ(Tony Shalhoub)(フレッド・クワン/技術主任チェン)
ダリル・ミッチェル(トニー・ウエバー/ラレド大尉)
エンリコ・コラントーニ(マセザー/サーミアンのリーダー)
パトリック・ブリーン(クエレック)
ミッシー・パイル(Missi Pyle)(ラリアリ/ジェーン・ドー)
ジャスティン・ロング(Justin Long)(ブランドン)
ロビン・サックス(サリス)
ジェド・リース(テブ)
ジェレミー・ハワード(カイル)
ケイトリン・カラム(ケイトリン)
ジョナサン・フェイヤー(ホリスター)


ストーリー

1979年から4年間放送された、宇宙探査局の活躍を描いた伝説的の
人気SF・テレビシリーズ『ギャラクシー・クエスト』。
放送終了から20年経った今も人気は衰えず、ファンダムのイベントが
行われるコンベンション会場は熱狂的なファン「クエスタリアン」で満員だった。
『ギャラクシー・クエスト』以降、あまりぱっとしないキャスト達は、
ファンへのサイン会やイベントを糧にして俳優生活を送っていた。

そんなある日、『ギャラクシー・クエスト』のイベント会場に、
グレーのボディースーツを着る変わった4人組が居た。
彼ら(?)は実は宇宙人サーミアンで、悪者宇宙人サリスとの戦争を
打開するため、プロテクター号タガート艦長に助けを求めに来たのだった。
だが、タガート役のジェイソンはプロモーターの出演依頼と勘違いし、
彼らのリムジンに乗り込む。

二日酔いのジェイソンが目覚めたのは宇宙船の中だった。
「嘘」の概念が無いサーミアンは、テレビ番組『ギャラクシー・クエスト』の
電波を自星で受信し、架空のドラマだとは思わずに歴史ドキュメンタリーと
信じて見ていたのだった。
番組の愛と正義と勇気と信頼の世界を手本に自分たちの文明を建て直し、
宇宙船プロテクター号さえも完全に再現していた。

地球に戻ったジェイソンは『ギャラクシー・クエスト』のメンバー達に
体験を話すが、単なる遅刻の言い訳として受け取られる。
サーミアンが再び、助けを求め現れる。
ジェイソンは「本物の宇宙船で宇宙戦争をする」という説明は一切無しで
新しい仕事の依頼だとしてメンバーを説得する。

2008年11月9日日曜日

ニコロ・パガニーニ(Niccolo Paganini)

ニコロ・パガニーニ(Niccolo [あるいはNicolo] Paganini,
1782年10月27日 - 1840年5月27日)はイタリアのヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者(viola)、ギタリスト(Guitarist)であり、作曲家である。

人物

パガニーニはヴァイオリン(violin)の鬼神と呼ばれ、
当時はそのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、
「パガニーニの演奏技術は、悪魔(Devil Daemon)に魂を
売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されたという。
そのため彼の出演する演奏会では聴衆は本気で十字架を切ったり、
本当にパガニーニの足が地に着いているか彼の足元ばかり見ていた観客もいたという。
それどころか死後に教会から埋葬を一時拒否すらされ、
その遺体は各地を転転とする羽目になったほどである。

彼がヴァイオリンを弾き始めたのは5歳のころからで
13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、そのころから自作の練習曲で練習していた。
それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われる。

青年時代には、恋愛と賭博を好み、ナポレオン1世
Napoleon Bonaparte)の妹のエリーズ・ボナパルト
Elisa Bonaparte)とポーリーヌ・ボナパルト
Pauline Bonaparte)と浮名を流した。
賭博では、演奏会の前日に商売道具のヴァイオリンを
博打に大負けしてとられたことがある。

作品への態度

その徹底ぶりは凄まじいもので、自らの演奏会の伴奏を
担当するオーケストラ(orchestra)にすらパート譜を配るのは
演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの
数日間練習させて本番で伴奏を弾かせた後、配ったパート譜はすべて回収したというほどである。
しかも、オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを
弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の
弾くソロ・パートを聞くことができたという。

このようにパガニーニ自身が楽譜を一切外に公開しなかった
ことに加えて、パガニーニの死後、遺族が遺品である楽譜の
ほとんどを処分してしまったため、楽譜が散逸してしまいほとんどの作品は廃絶してしまった。
現在では、無伴奏のための24の奇想曲や6曲のヴァイオリン協奏曲
(12曲あったといわれている)などが残されている(第3番~第6番が見つかったのは20世紀に入ってからである)。
また、同じ理由から弟子をカミッロ・シヴォリ一人しかとらず、
そのシヴォリにも自分の持つ技術を十分には伝えなかったため、
演奏の流派としてはパガニーニ一代で途絶えることとなってしまった。

パガニーニは、1800年から1805年にかけて表立った活動をやめ、ギターの作品を数多く作曲している。
これは、フィレンツェの女性ギター奏者を愛人としていたためといわれている。

作曲家への影響

シューベルト
シューベルト(Franz Peter Schubert)はパガニーニが
ウィーンに来た時、家財道具を売り払ってまで高いチケットを
買って(友人の分まで奢って)パガニーニの演奏を聞き
(ちなみに、この時にシューベルトが聞いたのが「鐘のロンド」
を持つヴァイオリン協奏曲である)、「天使の声を聞いた」と感激した。

金銭に関して執着しないシューベルトらしい逸話である。
この台詞は正確には「アダージョ(adagio)では天使の声が聞こえたよ」と言ったものである。
派手な超絶技巧よりもイタリアオペラに近い音色の美しさをとらえるシューベルトの鋭い感性も覗える。

リスト
またリスト(Franz Liszt)は初恋に破れ沈んでいた20歳の時に
パガニーニの演奏を聞いて「僕はピアノのパガニーニになってやる」と奮起し超絶技巧を磨いたという逸話もある(リストはヴァイオリン協奏曲第4番を聞いたといわれている)。

また、イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)が非常に深い影響を受けるなど、HR/HMの世界に対する影響力は大きい。

2008年10月24日金曜日

マトリックス (THE MATRIX)

マトリックス (THE MATRIX)
とにかく「堪らない」映画、私のツボです。
収まりかけた現実逃避が再発しました。

作品はウィリアム・ギブスンWilliam Gibsonから日本の
アニメAnimationまで様々なものに影響を受けた上で、
特にジャン・ボードリヤールJean Baudrillardの哲学を
基調としたとウォシャウスキー兄弟は語っている。
実際、後述するMATRIXという語自体が、ボードリヤールの
著書『シミュラークルとシミュレーション』の中に
掲げられており、これが出所となったという見方もある。
映画ではハードカバーのボードリヤールの本が映るシーンも見られる。
2作目からボードリヤール本人をアドバイザーに迎える計画があったが、断られたという。

ウォシャウスキー兄弟曰く脚本の大部分はレイジ・
アゲインスト・ザ・マシーンRage Against the Machine
Wake Up」を聴きながら書き上げた。
映画でもエンディング・テーマであり、レイジ・
アゲインスト・ザ・マシーンというバンド名やその活動自体が
まさにマトリックスの世界そのものとされている。

続編・関連作品として2003年に下記の3作品が公開された。

マトリックス・リローデッド(THE MATRIX RELOADED)
マトリックス・レボリューションズ(THE MATRIX REVOLUTIONS)
アニマトリックス(THE ANIMATRIX) 9つの短編アニメから構成される。

キャスト

ネオ(トーマス・アンダーソン) - キアヌ・リーブスKeanu Reeves
トリニティー - キャリー=アン・モスCarrie-Anne Moss
モーフィアス - ローレンス・フィッシュバーンLaurence Fishburne
タンク - マーカス・チョン
ドーザー - レイ・パーカー
サイファー - ジョー・パントリアーノJoe Pantoliano
エイポック - ジュリアン・アラハンガ
マウス - マット・ドーラン
スウィッチ - ベリンダ・マクローリー
エージェント・スミス - ヒューゴ・ウィーヴィングHugo Weaving
ブラウン - ポール・ゴダード
ジョーンズ - ロバート・テイラーRobert Taylor
オラクル - グロリア・フォスター

[編集] スタッフ
監督 : ウォシャウスキー兄弟The Wachowski Brothers(アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー)
製作 : ジョエル・シルバーJoel Silver
視覚効果:マネックス・ビジュアル・エフェクツ
音楽 : ドン・デイヴィス
カンフーアクション指導:ユエン・ウーピン

2008年10月3日金曜日

Queen クイーン

なぜか日本では非常に人気があるのです、昔から。

クイーン(Queen)は、1973年から活動している、イギリスのロックバンド。

1973年にデビューし現在までに15枚のオリジナル・アルバム、
その他多くのライヴ・アルバムやベスト・アルバムを発表している。

1991年にリードボーカルのフレディ・マーキュリー
Freddie Mercury)が死去してからも、残されたメンバーによる
「クイーン」名義での活動は断続的に続いており、正式に解散したことはない。
また、ベースのジョン・ディーコン(John Deacon)が
引退してからも、ギターのブライアン・メイ(Brian May)と
ドラムスのロジャー・テイラー(Roger Taylor)の二人が
クイーンの名を受け継ぐ形で活動を展開し、2005年から
ポール・ロジャース(Paul Rodgers)と組み「クイーン+ポール・ロジャース」として活動している。

クイーンと日本の関係

1970年代半ば、日本で最も大きな影響力をもっていた
ロック雑誌ミュージック・ライフが最大限のプッシュをした
こともあり、十代の女性の間で人気が爆発し、アイドル的人気を博した。

クイーンが日本で人気を獲得して以来、日本の様々なメディア
において「クイーンは本国よりもいち早く日本でブレイクした」という報道がされ続けている。
初来日の際には、空港にファン1200人が集結しパニック状態に
なったり、武道館公演を成功させたりと、日本でも比較的早い
時期から人気があったことは間違いない。
そのことについては、メンバーも当時から現在まで、
ことあるごとに日本のファンへの感謝の言葉を述べており、
5枚目のアルバム『華麗なるレース』(A Day at the Races
には、歌詞の一部を日本語で歌った「手をとりあって」も収録されているほどである。

2004年にゴールデンタイムのドラマ「プライド」に、
「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(I was born to love you )を
はじめとするクイーンの楽曲が多数使用された。
これが再評価のきっかけとなり、クイーンを知らなかった
若い世代に新しいファン層が生まれた。
この後多くの番組やCMなどにクイーンの楽曲が使用されている。

2008年9月18日木曜日

Sam Cooke サム・クック

私にとっての印象は、以外にもナット・キング・コールと同じ。
「丁寧に、丹精に歌うなぁ」というのが最初の感想でした。

サム・クック(Sam Cooke、Samuel Cook、1931年1月22日-
1964年12月11日)はアメリカのソウル(soul music)/R&B(rhythm and blues)の歌手。

略歴

ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。
後に家族とともにシカゴに移住。
父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。
19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズの
リードボーカルとなり、端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。
1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。
これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、
発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。
それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された
音楽性が持ち味で、白人層からの人気も高かった。

1958年にはマネージャーのJ.W.アレクサンダーとともに音楽出版社を設立。
後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、
黒人のアーティストは曲を作っても満足な対価を得られず、
白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、
自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。

かようにクックは黒人の権利に対する意識が高く、
公民権運動にも積極的な関わりを持ち、Malcolm XマルコムXや
"The Greatest" Muhammad Aliモハメド・アリとも親交を深める。
1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は
人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。

1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺される。
享年33。
その死を巡っては謎も多いといわれる。
(モーテルに連れ込んだ売春婦に金や服を盗まれ、
仕方なく裸で売春婦を追いかけ、その後銃で撃たれたとの説もあり)

影響

R&Bにゴスペルの感覚を持ち込んだ歌唱スタイルは、
ソウル・ミュージックというジャンルの隆盛に大きく貢献した。
また、作詞・作曲にも長け、様々なジャンルのアーティストが
カバーを取り上げている。下はその一部。

ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム - Otis Reddingオーティス・レディング、Aretha Franklinアレサ・フランクリンがカバー

シェイク - Otis Reddingオーティス・レディング、Small Facesスモール・フェイセズがカバー

ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー - John Lennonジョン・レノンがカバー

ユー・センド・ミー - Fairground Attractionフェアーグラウンド・アトラクションがカバー

2008年9月15日月曜日

Michael Schenker マイケル・シェンカー

日本では「神」と言われるこの人。
メロディアスな旋律とナイーブな行動がそう呼ばせているのでしょうね。


マイケル・シェンカー(ミヒャエル・シェンカー、
Michael Schenker、1955年1月10日 - )は、ドイツ出身の
hard rockハードロック/Heavy MetalヘヴィメタルのGuitaristギタリスト。

Gibsonギブソン社のギター「Flying VフライングV」を使用していることが有名。

ドイツのバンド、Scorpionsスコーピオンズに結成時より参加。
まもなく英国のバンドUFOに加入、数々の名演を残す。
脱退後は自らのバンド、Michael Schenker Groupマイケル・シェンカー・グループを結成。
ロック・ギターの名手として一時代を築いた。

スコーピオンズのリーダー、ルドルフ・シェンカーはマイケルの実兄。

特徴

奏法そのものはペンタトニック・スケール主体の
極めてオーソドックスなロック奏法(セオリー通りの奏法)の
積み重ねで、アイディアや速弾きはあっても、革新的な奏法を
開発したわけではないとされる。
マイケルの奏法の基礎はハンク・マーヴィンなどに
影響されたものであると言われる。

またロックの世界では音楽以外の部分の伝説も重要な
一部であるが、マイケルの場合もこれらの伝説
(しかも殆どは実話だといわれている)には事欠かない。

彼の使用するギターにはトレモロアームが付属しておらず、
また当人もそれを設置することに能動的ではないが、
ギターボディーを足で固定し、ネックを強引に歪曲することで
トレモロアームを使用するのと同様のサウンドエフェクトを
発生させることがある。
そのような奏法のため、ネックを折ってしまうことも多い。

2008年9月10日水曜日

ジューダス・プリースト (Judas Priest)

ヘビーメタルの教科書。ロブが戻り、完全復活。
でもなんでどこのボーカリストも一度バンドを飛び出して
必ず戻ってくるんだろ?^^

ジューダス・プリースト (Judas Priest) は、1969年にイギリスの
バーミンガムで結成されたヘヴィメタルバンド。
ヘヴィメタル・シーンの中核を成すバンドである。

メンバー

ボーカル:アラン・アトキンス ~ ロブ・ハルフォード(Rob Halford) ~ ティム・"リッパー"・オーウェンズ(Tim 'Ripper' Owens) ~ ロブ・ハルフォード
ギター:ケネス・ケン・ダウニング(K. K. ダウニング)(w:K. K. Downing)
ギター:グレン・ティプトン (Glenn Tipton)
ベース:イアン・ヒル (Ian Hill)
ドラム:ジョン・ヒンチ ~ アラン・ムーア ~ サイモン・フィリップス(Simon Phillips 正式メンバーではなくセッション参加) ~ レス・ビンクス ~ デイヴ・ホーランド ~ スコット・トラヴィス

音楽的特徴

ヴォーカルのロブ・ハルフォードのシャウトと グレン・ティプトンと
K. K. ダウニングのツインリードギターが特徴。
初期の頃はハードロック要素も強い。

パフォーマンス

1970年代中期には袖や裾がヒラヒラした衣装や、
カウボーイハットを着用したりしてステージに上がっていた彼らだが、
1979年の「Killing Machine」(国によっては「Hell Bent For Leather
という名で発表された)を境に、レザー&スタッドを基調とした
男らしいファッションに転向した。

ステージではギターとベースの3人がフォーメーションを組み、
リズムに合わせて上半身ごと楽器を振り回したり、またアンコールでは
ロブがハーレーダビッドソンのバイクに跨って登場するなど、
独特のパフォーマンスを繰り広げ、やがてそれは一つの様式美とされるようになった。

このようなプリーストのファッションやパフォーマンスは多くのバンドに
影響を与え、特にレザーファッションはヘヴィメタルという音楽そのものの象徴となった。
これらの衣装は、アメリカ・ツアー中にSMショップで売られているのを見て着想を得たという。

2008年9月8日月曜日

マイケル・ジャクソンMichael Jackson

好きとか嫌いとか、その存在はそういった次元を超えた存在ですね。
個人的にはジャクソン5の頃の Soul music を歌っていた頃がツボです。

マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)は、
アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー市出身の男性ミュージシャン・歌手。
身長178cm、体重55kg。
the true king of pop, rock and soulKing of Pop)と称している。

ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。
世界総売上げは7億5000万枚(2006年10月末現在)以上。
エルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズと同様に、音楽界における歴史上の天才の一人。
ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト
(ジャクソン・ファイヴ当時11歳)」、「全米シングルチャートで
初登場1位を記録した最初のボーカリスト(You Are Not Alone)」、
「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー
(1989年、Forbes誌)」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー
(89年に1億2500万ドル)」などの記録を保有。

アルバム"Thriller"に関する記録は「6500万枚の世界最高枚数の
売り上げ(ギネスブック2007年度版に記載されている売上。公称は1億400万枚)」
「全米アルバムチャートでの最長期間首位(37週・サウンドトラック盤を除く)」、
「最も成功した音楽ビデオ(100万本以上の売上げ)」などのギネス記録を保有している。

兄弟と結成したジャクソン5(The Jackson 5)のボーカルとしてデビュー。
1980年代にはそのダンスやヴォーカルの実力で、全世界をその
エンターテインメント性で魅了した。
「ムーンウォーク(Moonwalk)」は、彼の代表的なダンスのひとつ。
ゴシップキングとしても知られ、整形と病気による尋常性白斑の
影響によるマイケル・ジャクソンの外観の変化のためよく
タブロイドのネタにされる。

1993年、マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑が発生。
13歳の少年が自分の父親(ビバリーヒルズの歯科医)によって
マイケルを告発させられる。
だが、本人は現在、マイケルに虐待されたとは思っておらず麻酔を
用いた虚偽記憶であったと考えられている。
また、2003年にはマーティン・バシールによるマイケルジャクソンの
真実の報道の結果、マイケル・ジャクソンは児童性的虐待疑惑で
逮捕されたが、マイケル・ジャクソン裁判の結果、全ての件に関し無罪となった。

歌手ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)は実妹。

2008年9月3日水曜日

Velvet Revolver

ロックの本道を21世紀にしっかり受け継いだバンド。
何よりうれしいのはグラミーを獲って、しっかり一般人に認知されているという事。
メインストリームに王道ロックがいるという事は、ロックファンには頼もしいですね。


ヴェルヴェット・リヴォルヴァー(Velvet Revolver)は、
メンバーの5人中3人が元Guns N' Rosesのメンバーで、
更に元Stone Temple Pilotsのボーカリストと元 Zilch などで
活躍したギタリストを迎えて2003年に結成された
「旧世代メンバーによる新世紀のロックンロール」バンド。

ヴェルヴェット・リヴォルヴァーはライヴでガンズ・アンド・ローゼズや
ストーン・テンプル・パイロッツ、Sex PistolsAerosmith
NirvanaCheap Trickなどの曲をカバーしており、
その音源の幾つかは限定版で発表されている。


メンバー

現メンバー
スラッシュ Slash : ギター 元ガンズ・アンド・ローゼズ他
ダフ・マッケイガン Duff McKagan : ベース 元ガンズ・アンド・ローゼズ他
デイヴ・クシュナー Dave Kushner : ギター 元 zilch、デイヴ・ナヴァロバンド 他
マット・ソーラム Matt Sorum : ドラムス 元ガンズ・アンド・ローゼズ他

元メンバー
スコット・ウェイランド Scott Weiland : ボーカル 元ストーン・テンプル・パイロッツ。


結成の切っ掛けはランディ・カステロの追悼コンサートで
元ガンズ・アンド・ローゼズの三人にBuckcherryのボーカリストである
ジョシュ・トッドとギタリストのキース・ネルソンを加えたラインナップで行った演奏から。
このライヴで彼ら五人は「Buck N' Roses」と名乗った。
また、この時にはエアロスミスのSteven Tylerも飛び入りで参加している。

互いにまだ確かなケミストリーが在ると感じたメンバーは、
当初トッド、ネルソン達と共にアルバム制作を開始。
しかしトッドの声がどうしても「バックチェリーに聴こえてしまう」など
ボーカルに不満を感じて2人を候補から外す。
ギタリストの後任にはスラッシュの中学時代からの後輩であり、
マッケイガンのバンド Loaded にも参加経験のあるデイヴ・クシュナーが加入。
この頃のバンドは「The Project」とだけ呼ばれていた。

その他Sebastian Bach(元SKID ROW)や数多くのシンガーが
セッションに交わったが、最終的に元ストーン・テンプル・パイロッツの
スコット・ウェイランドの加入が決定した。
セバスチャン・バックが加入しなかった訳についてはやはり
「スキッド・ロウに聴こえてしまうため」と言われている。

バンド名は当初、マッケイガンのバンド名「Loaded」を使い
「Reloaded」としようとされたが、映画「The Matrix Reloaded」の
公開により断念。
スラッシュのアイデアにより「Revolver」とする案が出されたが、
そのバンド名は既に50以上のバンドによって使われており、
ウェイランドが「Dead Velvet Revolver」と提案、
最終的に「Dead」を省いた「Velvet Revolver」とされた。

この頃に同じく元ガンズ・アンド・ローゼズのギタリストである
Izzy Stradlinも参加し曲を残していると言われているが、
気紛れで物事に執着しない性格のイジーはフラリと脱けて行ったと言う。
このバンドに関わった有名人は多く、Motley Crueのベーシスト、
Nikki Sixxも一時期関わっていた。

2008年8月29日金曜日

Black Sabbath

先日はOzzyの話をしましたが、やっぱりここは避けて通れません。
Tony Iommiに支えられた音楽性の崇高さに脱帽ですよ、ホント。


ブラック・サバス(Black Sabbath)は、イギリスのバーミンガムで
結成され1970年にデビューしたロックバンド。

Heavy Metalの元祖の一つとして知られる伝説的なバンドである。
ジャズやブルースを基調とし、「人を怖がらせる音楽を作る」という
コンセプトで作られた音楽性は後のヘヴィ・メタルに多大な影響を与えた。
その怪奇的なイメージでたびたび黒魔術や悪魔と結び付けられ、
ギターのトニー・アイオミがアメリカン・ツアーの最中、
狂信者に楽屋で刃物を突きつけられたという危険なエピソードもある。
結成当初からメンバー内の交流も公私共に良好で、
ブラック・サバス『若き安息日』という書籍には
「女風呂を必死にのぞこうとするトニー。
その尻を持ち上げるオジー。
それを心配そうに見守るギーザー。
あの瞬間、俺達は初めてのセッションをした。」との記述も残されている。

バンド名の“Black Sabbath”は、ベースのギーザー・バトラーが
1964年公開のホラー映画『BLACK SABBATH』から取って命名した。
その映画の公開時、映画館には長蛇の列が出来ていたことから、
「人間は恐怖を求める」という着想を得たと本人は語っている。
また、デビューアルバム「Black Sabbath」も、1970年2月
"13日の金曜日" という曰くつきの日付にリリースされた。

結成時のヴォーカルはOzzy Osbourneだったが、1979年に脱退。
後任としてRainbowのヴォーカリスト、Ronnie James Dioが加入した。
その後、Ian GillanGlenn Hughesなど、Deep Purple
歴代シンガーがヴォーカルを担当していた。
1987年以降はトニー・マーティン、1992年から1993年にかけて一時的に
ロニー・ジェイムス・ディオが復帰している。
1997年にはオリジナル・メンバーで復活を果たし、数年間ツアー活動を
行ったがライブアルバムをリリースしただけで、
新しいスタジオアルバムは発表されていない。

2007年にアルバム『悪魔の掟』の編成(ロニー・ジェームス・ディオ、
ヴィニー・アピス、ギーザー・バトラー、トニー・アイオミ)でツアーを
行うと発表された。
ただしブラック・サバス名義ではなくHeaven And Hellという
バンド名で行われる。
これはオリジナルメンバーでの再結成の時にオリジナルメンバー以外の
メンツではブラック・サバスとは名乗らないと宣言している為である。

オリジナルメンバー

ボーカル:オジー・オズボーン(1967年 - 79年、2000年 - )
ギター:Tony Iommi(1967年 - )
ベースギター:Geezer Butler(1967年 - 1984年、1994年、2000年 - )
ドラムス:Bill Ward(1967年 - 1979年、2000年 - )

その他の歴代メンバー

ボーカル

ロニー・ジェイムズ・ディオ(元レインボー?ディオ)
イアン・ギラン(元ディープ・パープル?ギラン他)
グレン・ヒューズ(元ディープ・パープル)
レイ・ギラン(ツアーのみ バットランズ)
トニー・マーティン
Rob Halford (ツアーのみ Judas Priest)
ベース

デイヴ・スピッツ(元ホワイト・ライオン)
ボブ・デイズリー(元レインボー他)
ジョー・バート(ツアーのみ)
ローレンス・コットル
ニール・マーレイ(元ホワイトスネイク?VOW WOW他)

ドラムス

ベヴ・ベヴァン(元エレクトリック・ライト・オーケストラ)
ヴィニー・アピス(ディオ他)
エリック・シンガー(キッス)
テリー・チャイムズ(元ザ・クラッシュ、ツアーのみ)
コージー・パウエル(第2期ジェフベック・グループ?元レインボー?マイケル・シェンカー・グループ?ホワイトスネイク他)
ボビー・ロンディネリ(元レインボー)

2008年8月26日火曜日

Jimmy Page

北京オリンピックの閉会式、観ましたか?
というわけで、予定を変更して、Jimmy Pageをご紹介!


ジェームス・パトリック・"ジミー"・ペイジ OBE
(Jimmy Page, 本名James Patrick Page OBE 1944年1月9日 - )は、
イギリスのロックギタリスト、作曲家、プロデューサー。
Eric Clapton Jeff Beckとともに3大ギタリストと呼ばれる。
当時の音楽ジャーナリズムからは「1970年代のPaganini」と形容され、
世界で最も成功したロックバンドの一つであるLed Zeppelin
ギタリスト兼リーダー。
レコード、ステージなど全般のプロデュースも担当した。
イングランドロンドン出身。
Rolling Stone誌の2003年8月号のカバーストーリー
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第9位。


演奏スタイル

ペイジのギタープレイはブリティッシュ・フォークやカントリーに
影響を受けつつも、基本的にはブルースを基本としたものである
(繰り返し爪弾かれる短いフレーズは、1920年代に活躍したブルースマン、
トミー・ジョンソンのフレーズを参考としている。1996年BBCドキュメンタリー
『ギタリストの時代』におけるインタビューより)。
アコースティック・ギターの技術の高さ、セッションマン時代を通して
培われたギタープレイの幅の広さには定評がある。


ペイジと黒魔術

ツェッペリン時代、ペイジは黒魔術へ傾倒していると、しばしば噂された。
彼のお気に入りだったとされるAleister Crowleyの遺した言葉が
LED ZEPPELIN III』のレコードに刻まれていたり、
クロウリーの元邸宅を別荘として所有していたなど、状況証拠的にそうだ
と言えなくはないエピソードは幾つも存在するが、「ファッション的に魔術
および魔術的イメージを利用していただけである」との声も少なくない。

真偽の程は別にしても、この妖しげなイメージの為か、ロバート・プラントの
幼い長男が感染症で亡くなるなど、不幸な事故がツェッペリンの周囲に起こる度に、
バンドに反感を持つ人々は、これは「ツェッペリンのカルマ(業)」の故にだと
囃したてた。

当時のバンドに対する嫌悪感を示す有名なエピソードに「Stairway to Heaven」を
逆回転で再生させると悪魔崇拝のメッセージが聴こえるなどと、
米国の著名な宗教番組の説法師であったプロテスタント教会の牧師から
テレビで非難されてしまったという逸話がある。

本人はこれを出鱈目であり、とんでもないナンセンスだと切り捨てている。
また、「天国への階段」の歌詞を作詞したロバート・プラントは黒魔術に
傾倒することなど無かった為、雑誌のインタビュー等でこの逸話について
問われると今でも大きな不快感を表明する。

2008年8月25日月曜日

Metallica

音楽が時代と共に変わっていったと嘆く人も多いと思いますが、
それはLed Zeppelinだって同じ事。
本当のMetallicaの偉大さは、これから理解されていくに違いない。


メタリカ (Metallica) は、1981年にアメリカのロサンゼルスで
結成されたヘヴィメタル・バンド(後に本拠地をサンフランシスコに移した)。

初期はスレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に
「スラッシュメタル四天王」の一角と言われており、
1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドである。

ジェームズ・ヘットフィールド (Vo/G) とラーズ・ウルリッヒ (Dr)
らが中心になって結成された。

元々はアンダーグラウンドが主戦場であり、後にスラッシュメタルと
呼ばれる新しいタイプのヘヴィメタルの先駆者である。

1980年代のMTV黎明期にあって4thアルバムまでビデオクリップ制作を
しなかった事で有名である。

また過激な音楽性、歌詞であったため大手ラジオ局でも
エアプレイされることがほとんど無かった。

しかしバンドを『ファンとの共同体』と位置づけ、ひたすらツアーを
重ねることでコアなファンのクチコミにより人気を獲得していった。

全世界でのアルバム・セールス1億枚以上を誇り商業面での成功も
さることながら、グラミー賞を7回受賞するなど社会的な認知度も高。

コンサートの動員力も高く、90年代の北米でのコンサート動員数で1位を記録する。

また大手マネージメントQプライムに10年以上マネージメントを
任せてきたことも彼らの成功に寄与しているといわれている。


現在のメンバー
ジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield, 1963年8月3日 - ) (Vo/G)

ラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich, 1963年12月26日 - ) (Dr)

カーク・ハメット(Kirk Hammett, 1962年11月18日 - ) (G) Joe Satrianiの生徒である。

ロバート・トゥルージロ(Robert Trujillo, 1964年10月23日 - ) (B)

元メンバー
ロン・マクガヴニー(Ron McGovney, 1962年11月2日 - ) (B)

デイヴ・ムステイン(Dave Mustaine, 1961年9月13日 - ) (G)

クリフ・バートン(Cliff Burton, 1962年2月10日 - 1986年9月27日 ) (B)

ジェイソン・ニューステッド(Jason Newsted, 1963年3月4日 - ) (B)

2008年8月23日土曜日

Yngwie Malmsteen

いよいよ新作もリリースされる天才・Yngwie Malmsteenですが
誰が何と言おうと、ハードロックにおける功績は称えられるべきでしょう。

イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)は、
スウェーデン・ストックホルム出身のミュージシャンであり、
ロック・ギタリスト。『インギー』の愛称で親しまれている
(本人はこの愛称をあまり好く思っていないようだが)。

ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きで
ギター奏法に大革命をもたらした。

Michael Schenkerの「神」に対して「王者」と呼ばれる。
先祖が貴族、正確には伯爵であるとされる。

楽曲の特徴は、古典的なハードロックにハーモニックマイナー・
パーフェクト・フィフス・ビロウ(和声的短音階)というスケール
(本人が言うところのフリジアンスケール)とアルペジオを主とした
高速なギター・ソロが加わる所である。

Edward Van Halenのように、特殊な新技術を生み出した
わけではなく、あくまでスタンダードなフォームに基づく奏法を究極の
レベルで完成させたところに特徴がある
(実際にはスウィープ奏法や、エコノミーピッキングなどもその
プレイに取り入れており、またそのテクニックの存在を広く知らしめた
という功績も認められる)。

インストゥルメンタルに於いては、大部分がインプロヴィゼーションに基づいている。
その超絶なスケーリングは、19世紀の名バイオリニストであ
るニコロ・パガニーニの技巧に多大なる影響を受けたとされる。

自らが7歳の時にテレビで観てギターを始めるきっかけになったとされる
Jimi Hendrixからの影響はステージ以外ではあまり感じられず、
むしろ彼のスケーリングやジミの解釈に多大なヒントを与えたのは
Ulrich Rothであるとの認識が一般的。

マルムスティーン自身は(スウェーデン時代に初期Scorpions
カバーしていた映像が残っているにもかかわらず)ウルリッヒからの
影響を初期には否定していたが、現在は肯定に転じ、敬愛するギタリストの
一人として挙げている。

一説には、1993年頃「ウリ・ロートがドイツのテレビに出演して
演奏したビデオ」を『YOUNG GUITAR』誌がマイアミの自宅に持参した頃から、
影響を認め始めた、と言われている。

彼からの影響を認めたがらないフォロワーたちにより否定される
こともあるが、ロック・ギターにメロディアスな速弾きを持ち込み、
革命を起こした天才である事実は疑う余地もない。
但し、現在に至るまで作品に大きな変化がないことから
「マンネリ」と批評する向きもある。

また、1987年の交通事故以来、ギタープレイにかつて無い「荒れ」が
見られ始め、ギタープレイにおけるそれを指摘する者も少なくない。

なお、速弾きばかりが強調されがちであるが、メロディのセンスも秀逸で、
かつブルースもプレイできる。
テクニックのみに走らずロック・ギタリストであり続けようとする姿勢にも
デビュー以来変化はない。

使用機材は一貫してFender Stratocaster
Marshallアンプで、Ritchie Blackmoreの影響が大きい。
ストラトキャスターから発せられる、滑らかだが芯のあるサウンドでの
速弾きは他のプレーヤーたちとは一線を画す。
2008年年末にはメインで使用している「DUCK」を傷などの詳細まで再現された
レプリカがフェンダーより発売される予定。

嫌いな音楽は数あれど特に好きではないのはフュージョンだといわれている。
理由は「ベースが調子に乗って前に出ているから」であるという。

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2008年8月22日金曜日

Aerosmith

Aerosmithはロック界では本当に珍しい事に、年々良いバンドになっている気がします。

The Yardbirdsをはじめ、1960年代のブリティッシュ・ロックという
フィルターを通して、自国の音楽を表現しようとした。

1970年代に第1次黄金時代を築くが、その代償とも言えるドラッグや
人間関係の問題で1980年代前半は低迷。
全員が麻薬中毒の治療のために更生施設に入院。
これは、落ちても這い上がろうとした彼らの執念の表れとして
今も語り継がれている。

その後、ロック史にも珍しい復活(1985年)を果たし、
商業的には1970年代を上回る第2次黄金期を築いた。

1998年映画「Armageddon」のメインテーマを手がけた。
同映画のヒロイン女優、Liv Tylerは、ボーカルのスティーヴンと
ベベ・ビュエルの間に産まれた実の娘。

日本でも大いに受け入れられ、1970年代後半はKISSQUEEN
Cheap Trickと並び、10代に人気があった。来日回数も多く、
1998年には海外アーティスト初の4大ドーム・ツアーを敢行した。

バンド結成当初、ドラマーだったスティーブン・タイラーがヴォーカルと
ドラムスを兼任するはずだったが、目立たないので兼任をやめ、
彼の悪友ジョーイがドラマーとして加入した経緯がある。
尚、バンド名はドラムスのジョーイによる造語。

2001年に『ロックの殿堂』入りを果たす。
他にも今まで『ピープル・チョイス・アウォーズ』2回、
『ビルボード・ミュージック・アウォーズ』6回、
『アメリカンミュージック・アウォーズ』8回、
『ボストン・ミュージック・アウォーズ』23回、
『MTVビデオ・アウォーズ』12回、『グラミー賞』4回など
数々の賞を受賞している。
『ローリングストーン誌』、『ヒットパレード誌』でも
最優秀ロックバンドに選ばれている。

『MTVアイコン』に選ばれた初のロックバンドでもある。

現メンバー

スティーヴン・タイラー(Steven Tyler
本名=スティーヴン・ヴィクター・タラリコ(Steven Victor Tallarico)
=ボーカル、ブルースハープ、ピアノ

ジョー・ペリー(Joe Perry
本名=アンソニー・ジョセフ・ペリー(Anthony Joseph Perry)
=リードギター

ブラッド・ウィットフォード(Brad Whitford
本名=ブラット・アーネスト・ウィットフォード(Brad Arnest Whitford)
=リズムギター

トム・ハミルトン(Tom Hamilton
本名=トーマス・ウィリアム・ハミルトン(Thomas William Hamilton)
=エレクトリックベース・キーボード・ベース

ジョーイ・クレイマー(Joey Kramer
本名=ジョセフ・マイケル・クレイマー(Joseph Michael Kramer)
=ドラムス


一時在籍メンバー

レイモンド・タバーノ(Raymond Tabano
=ギター ※デビュー前にウィットフォードと交代、バンドロゴ考案者
ジミー・クレスポ(Jimmy Crespo
=ギター ※「ナイト・イン・ザ・ラッツ」、「美獣乱舞」参加
リック・ダフェイ(Rick Dufay
=ギター ※「美獣乱舞」参加
デイヴィッド・ハル(David Hull
=ベース ※2006年現在、癌治療中のトムに代わって全米ツアーに参加

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2008年8月19日火曜日

Austin Powers

昨日に引き続き、大好きなMike Myersの作品。

「オースティン・パワーズ」(Austin Powers)は1997年製作の
アメリカ映画、そのシリーズ作品、およびそれらの主人公である。

ジェイ・ローチ監督。
プロデューサーとしてDemi Mooreが参加している。
主演のMike Myersはプロデューサーと脚本も兼ねている。

007シリーズのパロディ(サブタイトルも007シリーズのパロディ)で、
イギリスのモテモテ有能スパイ・オースティン・パワーズの活躍を描いている。

世界中でヒットしたため、第3作目まで製作された。


名前の由来
オースティン・アレグロ(1979年)1980年代まで実在した
イギリスを代表する大衆車メーカー・オースティンから取られている。
なお、同社はスポーツカーメーカーとしても知られていたが、
1970年代以降は低価格と低品質、性能の低さで知られた。


テーマソング

シリーズ共通のテーマ曲はQuincy Jones の「ソウル・ボサ・ノヴァ」。


パロディとなった人物

オースティン・パワーズ
=ハリー・パーマー(国際諜報局)・ジェイムズ・ボンド(007シリーズ)

ドクター・イーブル
=エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド(スペクター№1)(007シリーズ)

ナンバー・ツー
=エミリオ・ラルゴ(スペクター№2)(007 サンダーボール作戦)

フラウ・ファービッシナ
=ローザ・クレッブ(スペクター№3)(007 ロシアより愛をこめて)

何でも屋も元プロレスラー
=オッドジョブ(007 ゴールドフィンガー)

ゴールドメンバー
=ゴールドフィンガー(007 ゴールドフィンガー)

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2008年8月18日月曜日

Wayne's world

『ウェインズ・ワールド』(Wayne's world)は、1992年に公開された
アメリカ映画。

人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』の1コーナーを
映画化したもので、日本では試写会にロックファンを呼んで字幕作りに
参加させると言った試みも行われた。

クイーンやアリス・クーパーなど1980年代に活躍したミュージシャンの
楽曲が挿入歌として使われ、ロックに関する小ネタも多いコメディ映画。

日本では興行収入がさほど伸びず、続編『ウェインズ・ワールド2』は
ビデオのみでの発売となったのですが、私には堪らない娯楽映画でした。


キャスト
Mike Myers:ウェイン・キャンベル
ダナ・カーヴィ:ガース・アルガー
Tia Carrere:カサンドラ
ロブ・ロウ:ベンジャミン
ララ・フリン・ボイル:ステイシー


なんといってもMike MyersとTia Carrereが私のツボでしたが、
BRUCE LEEファンの私には、ゲームセンターの社長婦人。

死亡遊戯でLEEのヒロインを演じたコーリン・キャンプじゃありませんか。
かなり「得した」と感じた映画でした。

2008年8月17日日曜日

Bon Jovi

ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)は、アメリカ・ニュージャージー州出身のバンド。

リーダーでボーカリストのジョン・ボン・ジョヴィ(Jon Bon Jovi)と
キーボーディストのデヴィッド・ブライアン(David Bryan)を中心に結成された。

後にリッチー・サンボラ(Richie Sambora,ギター)、ティコ・トーレス
(Tico Torres,ドラム)が加入し現在に至る。
耳馴染みのいい楽曲により、ハードロックのファンの裾野を一般大衆に広げた。

日本からその人気に火がついた事は有名で、メンバー全員が大の親日家なのは
日本人の私にはうれしい事です。


ポップロックというには重く、ヘビーロックというには軽すぎる曲は
ハードロックファンには敬遠されがちですが、曲は本当に良く出来ていると思います。


現メンバー
ジョン・ボン・ジョヴィ
(Jon Bon Jovi 本名:John Francis Bongiovi)
vocals/guitar 1962年3月2日生まれ

リッチー・サンボラ
(Richie Sambora 本名:Richard Steven Sambora)
lead guitar 1959年7月11日生まれ

デヴィッド・ブライアン (David Bryan 本名:David Bryan Rashbaum)
keyboards 1962年2月7日生まれ

ティコ・トーレス (Tico Torres 本名:Hector Samuel Juan Torres)
drums 1953年10月7日生まれ

ヒュー・マクドナルド (Hugh McDonald 本名同じ)
Bass 1950年12月28日生まれ・・・
彼はサポートメンバーであり、正式メンバーは上記4人である。

[編集] 脱退メンバー
アレック・ジョン・サッチ (Alec John Such) Bass

2008年8月15日金曜日

Madonna

Madonna

夫はイギリスの映画監督であるガイ・リッチー。
元夫は映画「上海サプライズ」で共演したショーン・ペン
(1985年8月16日に結婚、1989年1月10日離婚)。
愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、
近年では「ポップス界の女王(Queen of Pop)」とも言われる。

80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、
1984年の大ヒット曲『ライク・ア・ヴァージン』を機にポピュラー音楽の
チャートで成功を収め、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。
アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、
『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に『ホリディ』、
『クレージー・フォー・ユー』、『ヴォーグ』、『ミュージック』、
『ハング・アップ』など多数がある。

MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながら
ポップアートと音楽を融合し、現象的な成功[1]を収める。
セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの
変遷を繰り返し現在に至る。
彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、
そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。
2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された

2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。


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2008年8月14日木曜日

The Rolling Stones

The Rolling Stones
ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は、ロンドンで結成され
1963年にレコードデビューしたイギリスのロックバンド。
ロック草創期の1960年代から現在まで40年以上、一度も解散することなく
第一線で創作を続ける、ロック・バンドの代名詞的な存在である。
エアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼズ、オアシスなど
ローリング・ストーンズを崇拝するアーティストは数知れない。


現在も根強い人気があり、ステージでの演奏には定評がある。
2007年現在もスポンサーのバックアップ等により大規模なツアーを行っている。

バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの
"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが命名。

全世界でのアルバム総売り上げは2億枚以上である。

ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人音楽のブルースにある。
デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。
彼らがデビューした1960年代初期、アメリカにおいてはまだまだ
黒人に対する差別が根強く、「ブルースのレコードジャケットには、
黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」
という慣習のある州さえ多かった。
こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、
黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、
黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドが
ローリング・ストーンズである。
彼らは更に、ブルースだけでなく、モータウンやスタックスといった
レコード会社に代表される、同時代の黒人音楽も吸収。

こうした点でローリング・ストーンズは、「白人なのに黒人のように
ブルースを歌える」とされたエルビス・プレスリーや、さまざまなジャンルの
音楽を取り入れた「アングロ・サクソン的」なビートルズとは一線を画している
(ここで言う「黒人的」あるいは「アングロ・サクソン的」とは、人種や
民族の優劣とは全く関わりなく、音楽的フィーリングや表現方法の違いに
すぎないことを念のため付記する)。
ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人
ミュージシャンが1960年代後半から1970年代初頭にかけて、米英などで多数登場
するきっかけとなったともいえる。

ストーンズのサウンドの欠かせない特徴として、その独特のリズムがある。
本来バンドであればドラムとベースの絡みが重要といわれているが、
このストーンズは一味違う。
そのリズムの核となるのは、チャーリー・ワッツのドラムス、
キース・リチャーズが弾き出すリズム・ギターにある。
この二人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。
ギターがドラムと絡み合うことで、当然ベースも独特な演奏をしていて、
サウンドの核となるキースのギター・ラインと、そのギターに絡もうとする
他の楽器パートの隙間を、まるで縫い合わせていくように弾いていることに特徴がある。
キースのギターが中心となってバンドの音を引っ張っていっていると
言ってもいいそのサウンドは、まさに唯一無二である。
しかし、残念ながら1993年にビル・ワイマンが脱退して以来、
そのリズムが変わって、サポート・メンバーであるダリル・ジョーンズの
弾くベースはより安定したものながらも、それに古くからのファンは
「不満」があるようである。

ローリング・ストーンズは、さまざまな流行の音楽をも取り入れ、
一部のメンバーの交替や、さまざまなアクシデントを乗り越えつつ成長し、
デビュー40年周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース
(リズム・アンド・ブルース)ルーツのロックンロールという音楽で、
第一線で現役を貫き通している。

2008年8月12日火曜日

BRUCE LEE

Dont`Think, Feel!」

この言葉がいまだに耳から離れない私です。

さて、そのBRUCE LEEの生い立ちですが、

出生・幼少時代
父親の中国系で広東演劇の役者、李海泉とドイツと中国系の母親
グレースが家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、
辰の刻(午前8時)にサンフランシスコのチャイナタウンの病院で生まれた。
五人兄弟の次男(兄ピーター、姉フィービー、アグネス、弟ロバート)。
映画には芸名の李小龍で出演している。生後3ヶ月あまりで
サンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演した。
その後香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。
幼少より、中国武術(中国大陸では武術、台湾等では国術(國術)とも
呼ばれる。
海外ではカンフーの名称が一般的だが、空手や拳法と誤認される
こともある)の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)の指導で
中国武術を身につける。
少年の頃、道場にはバスで通い、バス停で他の生徒に「今日も休みだ」
と嘘をついて帰らせ、葉問の個人レッスンを受けたという逸話がある。
また上海精武体育会香港分会にて北派少林拳の邵漢生に指導を受け、
節拳(弾腿門)などを学んだ。


不良時代、渡米・結婚
香港では、喧嘩が法律で禁じられていた。
しかし、俳優の息子で自らも映画に出演し、当時でも珍しい中国服を
着ていたことから街で目立ち、気性が荒かったリーは
「何をジロジロ見てるんだ」と難癖をつけて、毎日のように暴力沙汰を
起こしていた。
16歳で香港のラサール学院を退学処分となりフランシスコ・ザビエル校に
編入しても、喧嘩を繰り返した。また、ダンスのチャチャチャの
コンテストで優勝するなど、勉学よりも喧嘩や女性との交際に熱中していた。
何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子
」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じる。
(米国で出生届を出していたので永住権があった)
18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。
新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校シアトル・セントラル・カレッジに
通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。
勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。
高校で哲学の講師もしていた。その頃、同じ大学の医学生で、
道場の生徒だったリンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、
道場経営に専念。

截拳道(Jeet Kune Do/JKD/ジークンドー)を創始する。


武道家からアクションスターへ
1966年、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で
JKDの演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、
TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢される。
正義のヒーロー「グリーン・ホーネット」の助手兼運転手として
目だけを隠すマスク(このマスクは、後に映画『キルビル』で
「カトーマスク」と呼ばれる)を付けた日系人のカトー役を演じ、
派手なアクションで人気を博す。
これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを
顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などのゲスト出演を重ねる。
カトー役のイメージのため、リーを日本人だと誤解しているアメリカ人も多かった。
『グリーン・ホーネット』の後、アメリカの連続テレビドラマ
『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を願った。
しかし、東洋人であることなどを理由に主演の望みは叶わなかった
(主人公の混血児ケインを演じたのはデビッド・キャラダイン)。

1970年、香港の大手映画会社ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)から
独立したレイモンド・チョウ(鄒文懐)が設立したばかりの
ゴールデン・ハーベスト(嘉禾娯楽事業有限公司)と映画出演の契約をする。
翌1971年に成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、
香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットになった。
リーは、一躍、香港のトップスターに躍り出る。主演第2作の
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、
3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら
「コンコルド・プロダクション」(協和電影公司、
ゴールデン・ハーベストとの共同出資)を設立し、製作・監督・脚本・主演の四役を担った。
この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、
ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。

1972年秋からリーの2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影がスタートする。
ところが、ハリウッドのワーナー・ブラザーズとコンコルド・
プロダクションとの合作映画の企画が持ち上がり、『死亡遊戯』の
製作は中断される。
1973年1月から、米国と香港の合作映画『燃えよドラゴン』
(ロバート・クローズ監督)の撮影が始まる。
かつてハリウッド映画への主演がかなわなかったリーの意気込みは
並々ならぬものがあり、エキストラへの武術指導に始まり、
脚本や撮影にも詳細な意見を出した。
リーはクローズ監督に、「この映画の出来を気にしているのは、
あなたと私だけだ」と語った。
映画の冒頭、リーが少年を相手に「Don't Think. Feel!
(考えるな、感じろ!)」と語る台詞はあまりにも有名だが、
この部分はリーが香港公開用に自ら監督をして勝手に撮影したもので、
当初の脚本にはなかった。
撮り終わったフィルムを見たクローズが、米国公開版にも採用した。


死去

香港のブルース・リーの銅像1973年7月20日、リーは、『死亡遊戯』
で共演予定の女優ベティ・ティンペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、
鎮痛剤(アスピリン)を飲んでベッドに横になった。
しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティンペイはレイモンド・チョウ
(鄒文懐)を呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、
死亡が確認された。
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)である。司法解剖の結果、
微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していた事が判明した。
リーは、『燃えよドラゴン』の撮影を終えた1973年5月にも同様の症状を
訴えており、死因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、
その晩に服用した頭痛薬の副作用と言われている。享年32。

葬儀は、香港とシアトルで行われた。
香港では数万人のファンが葬儀に押し寄せ、シアトルの葬儀にはリーの
弟子だったジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンも参列した。
(この葬儀の様子は『死亡遊戯』の中で実際に使われている)
遺体はシアトルダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。
リーの死後、彼が待望していたハリウッド主演作『燃えよドラゴン』が
米国を皮切りに全世界で公開され、大ヒットとなった。
しかしアクションスターとして世界的な知名度を得た時、
既にリーは亡くなっていた。(日本公開は1973年12月22日)
死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。

2008年8月11日月曜日

EARTH,WIND & FIRE

機能のblogでもちらっと書きましたが、私がEARTH,WIND & FIRE
知ったきっかけは、イラストレーターの長岡秀星・Shusei Nagaoka師匠でした。


高校の頃、何かの雑誌での特集で名前を知り、
「え?日本人で外国のアーティストのジャケットを描いてるの?」
かなり驚いてその細密なタッチのイラスト達を眺めていたのを思い出します。

私はエアブラシを使ったイラストは今でも好きじゃないし
細々と描き入れている面相筆のタッチに驚いただけなのですが
それでも長岡秀星師匠とアースの存在は、それ以降頭に刻み付けられてしまいました。

何よりJAPANESEが海を渡ってアメリカでILLUSTRATIONSを描いているという
驚きは、同じ日本人としてはうれしい限りでした。


さてこのEARTH,WIND & FIRE、全盛期はモーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーの
ツインヴォーカル、重厚なホーン・セクションと程良いコンピューターの打ち込みによる
電子音を取り入れたのが特徴であった。

1980年代半ばには、その大きな売りであった生のホーン・セクションに、
他のバンドに先駆けてコンピューターの打ち込みによる電子音中心のバンド形式に変え、
実験的な音作りも取り込んだ。現在は、パーキンソン病にかかってしまったモーリスに変わって、
フィリップが中心メンバーとして活動している。


日本での人気の高さは本国アメリカを完全に凌いでおり、1970年代~1980年代初頭の
ディスコ世代にとってはカリスマ的存在となっている。幾度となく来日公演を行っているが、
リーダーのモーリスは数年来患っているパーキンソン病の影響のため、
2004年に行われた来日公演がモーリス込みで最後の公演とも噂される。

2008年8月10日日曜日

ILLUSTRATIONS

元々イラストレーターになりたいと思っていた私は、
映画のポスターやCDジャケット、本の表紙などのデザインや絵を
人より注意深く見ていた一人だと思います。


STAR WARSの項で書きましたが、生頼範義(おおらいのりよし)師匠という
私の心の師(イラスト部門)が、イラストレーターという選択肢を
私に与えてしまったのですが(結局私はイラストレーターになっていませんが^^;)
その後、SF好きという事から当時SFマガジンという雑誌の表紙を飾っていた
加藤直之師匠やスタジオぬえの皆さん、海外ではフランク・フラゼッタ師匠や
ボリス師匠にも傾倒し、だいぶんと「無駄ではない人生の寄り道」をしてしまいました^^


ここでただの挿絵好きで終わるだけなら良かったのですが、
その後好きになったハードロックでも私が好きだったイラストレーターが
ずいぶんと活躍しているという事実を知ってしまい、そのリンクっぷりに
尚更「これって運命的なのかな?」というイタイ発想に陥ってしまい
完治までの道のりが長引いた事も追記しておかなくてはなりません。


例えば、サザンロックの雄、MOLLY HATCHETYNGWIE MALMSTEEN
アルバムに使われているフランク・フラゼッタ師匠。

OZZY OSBOURNEのアルバムではボリス師匠、EARTH,WIND & FIREでは長岡秀星(Shusei Nagaoka)師匠、
もちろん生頼範義師匠も一時期の日本のヘヴィーメタルアルバムには
異常な頻度の露出っぷりでした。

元々スパルタンでマスキュラスなイラストが好きだった私の嗜好と
HEAVY MUSICのヴィジュアライズという販売者の思惑が一致した
だけなのでしょうが、私にとっては、これすらが「運命」^^


本の挿絵もCDのカバーも両刃の剣、内容にピッタリとマッチした
イラストの破壊力は想像を絶しますね。

2008年8月9日土曜日

T-REX

日本ではなぜかCMなどで人気で、数年置きにテレビで流れるマーク・ボランの曲達。
何かのきっかけで私がはじめてT-REXのCDだかLPだかを聴いた時も「あ、これ知ってるわ」のオンパレードでした。
そういう点で、非常にとっつきやすい第一印象でした。
デビッド・ボウイをちゃんと聴いた事がない私にとってT-REXは私が聴いた唯一のグラムロックなのですが、他のグラムロックアーティストを知らない私にさえ「これ(T-REX)がグラムロックの本流では無いんだろうな」という印象を拭えません^^
私にとっての印象は、グラマラスな音楽やビジュアルというよりも「ブギー」の一言に尽きるのです。
なんて心地よいリズム、声、ギターの音よ。
DEF TECでルーズな音が非常に心地よく、程よい脱力感で癒されます。

お勧め曲は2つあって、まずは私の中のロッククリスマスソングの堂々TOP1「CHRISTMAS BOP」です。
テイチクレコードが一時期毎年のようにT-REXの企画アルバムを出していたのですが、その中のクリスマスボックスという中ではじめて耳にしました。
最初はファンクラブ用の曲だったのかも知れませんが、とてもハッピーな気持ちでその年のクリスマスを迎える事が出来た事を思い出します。
もう一曲はおなじみ「BORN TO BOOGIE」
コメントも必要ないですよね^^HAPPY BOOGIE!

2008年8月8日金曜日

YMO

「TOKIO TOKIO 」
いやぁ、びっくりしましたね。
当時中学生だった私が例によって深夜ラジオに聞き入ってると突然私の耳を爆撃した音のカルチャーショックです。
歌謡曲育ちのはなたれ中学生の私にとっては即座に何が起こったか理解できず、「訳がわからないんだけど図抜けてかっこいい」としか感じる事ができませんでした。
音楽に衝撃を感じた最初の存在がYMOである事は間違いありません。

私は、凄い文化に触れるとそれを自分でもやってみたくなります。
実際にする・しないは別として
凄い歌を聴くとその歌を歌ってみたくなるし、凄い絵を見るとそんな絵を描きたくなるし、凄い映画を観るとそんな映画を撮ってみたくなるし、凄いロックを聴くとそのギターソロを弾いてみたくなります。
それが出来る自分にあこがれるのですが、YMOに関しては、自分に出来るという気すらしない。
只ただ、異質の文化に触れる事が出来たという喜びでいっぱいでした。
その後テクノポップが世界を席巻し、衰退し、YMOの曲調自体も変遷していったのですが、前半のアグレッシブさは今聴いても衰えませんね。
一言で言えば「COOL!」に尽きるのです。
お勧めの一曲は「ライディーン」
この曲だけでご飯3杯はイケます^^

2008年8月7日木曜日

たどりつけばアラスカ 「NORTHERN EXPOSURE」

ありゃ、ついにタイトルに日本語入れちゃった^^
私の中の「外国テレビドラマTOP3」のぶっちぎりの第一位です。
初めて観たのは今から10年程前、和歌山に住んでいた頃、水曜日の深夜にひっそりとやってたのを、仕事から帰って何の気なしに観たのが最初。
最初はボ~っとNORTHERN EXPOSUREを眺めるように観ていて、「なんか変なドラマやなぁ」くらいに思っていたんですが、仕事の都合で、回を飛ばしながら何度か偶然に観るうちにすっかり虜になってしまいました。
当時、というか今でも、誰にこのドラマの話をしても「さぁ?知らんなぁ」という見事なまでのマイナーっぷりを発揮していたのですが、その数年後、インターネットを覘くようになってファンサイトがある事を発見。
変なところでネットのグローバルさを痛感した次第でした。
そのサイトの訪問者数名と、ドラマのDVD化へ向けての草の根運動をはじめたのですが、私の仕事の事情で、その後連絡も取れなくなったままなのが今でも心残りで仕方がありません。

アメリカでもエミー賞を獲得した人気ドラマのようですが、私にとっては、もっとも「癒される」ドラマの最右翼。
まず日本のドラマにあんな構成のモノは求められないし、本国でもきっと異質なドラマだったのだろうと思います。
私が観た時には、本国で放映されて既に5年以上経っており日本でも恐らくCSなどで放映された後の深夜枠のを観ていたのだと思います。
もっと早く知っていれば、少なくともタワーレコードでサントラくらいは入手できたのにと、めぐり合わせの遅さを後悔した唯一の作品です。
今でも、秋から冬にかけて、肌寒くなってくると必ず観たくなるのです。
なので、きっともうじき観たくなる^^;

2008年8月6日水曜日

JIMI HENDRIX

他界して早30年、今なお異質の、そして孤高の存在JIMI HENDRIX
ジミ師匠の事を一言で表現すると、
「エレクトリック・ギターというおもちゃの可能性を世界で一番最初に極限にまで広げたアーティスト」
になると思います。
ギターから発する音すべてを音楽として成立させたマジシャン。
ジミ師匠の仕事ぶりを、当時リアルタイムで目撃した他のアーティストはさぞ嫉妬した事だろうと思います。
当時のフラワームーヴメントやサイケデリックな時代を知らない私にはことさら強く感じる、クラシックの対極に位置する猥雑の極み。
一見、無駄だらけの装飾音に思えながら、実はそれこそが全く脂肪の無いパンプアップされた音の筋肉、骨格。
正に時代を作り上げ、時代を駆け抜けて行った寵児。
もうギターの音に興味がある人にしか支持されない時代になったけど、ギターの持つ可能性を考えた時、必ずみんなここを通る事になる、そんな偉大なミュージシャン。
ちょっと褒め過ぎですか?^^
今年も夏が来ました。
お気に入りのジミ師匠のT-シャツを着て、子供とセミ採りをしたいと思います。

お勧めの一曲は「ALL ALONG THE WATCHTOWER」これはジミ師匠の曲じゃなく、ボブ・ディランの曲(らしい)
けど、最高^^

2008年8月5日火曜日

JAMES BROWN

でましたね、SOULの帝王。
ソウルの北島三郎なのか、サブちゃんが演歌のJAMES BROWNなのか。
どっちにしろ、ショウ・ビジネスという、いかがわしく泥臭い中での実績や立ち位置には共通する部分が多いお二人。
そんなジェームズ師匠の音を知ったのは、もうロッキー4で歌ってた後でしたのでかれこれ20年程前になると思います。
当時私の中でブームだった、輸入の格安音楽テープを漁っていた際にジェームズ師匠の「GRAVITY」というアルバムを買った事から始まりました。
ところがいつもの私なら、気に入ったアーティストはオリジナルアルバムを順次攻撃していくのですが、ジェームズ師匠に関してはちょっと状況が違ってました。
芸暦が長いせいか、通ってたCD屋がショボいのか、オリジナルアルバムが売ってない。
当時最新だった「GRAVITY」は売られていたのですが、その他はベスト版ばかり。
しかも国内版、輸入版問わず、おびただしい量のベストが販売されていたのです。
この種類の多さはさすがに天下のジェームズ師匠!って感じではありますがそこからはひたすらいろんなベスト版を聴き漁りました。

曲がカブる事カブる事^^;
それぞれの時代によって曲調は当然変わってきているのですが、一貫しているのは、「濃厚」であるという事。
初期の代表曲「PLEASE,PLEASE,PLEASE」などは時代的にも「オールディーズ」の一言で片付けられるくらいシンプルなものですが、それでもあの搾り出すような声、やはり相当「濃い」ですよね。

お勧めの一曲は「REPEAT THE BEAT」ですね。
あくまで「意外なところで」という意味での選曲ですが^^

2008年8月4日月曜日

KULA SHAKER

元々インドへの憧れが強い私は、いつか行ってみたい国の一番がこの20数年ずっと変わっていないくらいのインド好きです。
一曲の長さが60分くらいあるシタールのCDを聴いてだらだら過ごす事も以前はよくやっていました。
ビートルズのメンバーがインドに傾倒していた事は有名ですが、元来のひねくれ根性から、ずっとビートルズを避けて通ってきた私にはそれがどの程度なのか全く想像できません。
そんな私がその「いんちきインド臭さ」にノックアウトされたのが今回ご紹介する、KULA SHAKERです。
もう、たまらんですね、このうさん臭さ^^
オールドロックの一番おいしい音を取り出し、インドスパイスを効かせたおいしい無国籍料理を出された感じ。
素敵なのは、そのどれもが「なんとか風」であるという事。
混ぜ切って新しい何かを生み出すまではいかず、混ぜ方も中途半端な感じが私にはたまらなく愛おしいのです。
最近、再結成されたようですが、音は全く確認していません
お勧め曲は「HUSH」、ちなみにこれにはインド臭さは全くありません。
DEEP PURPLEの曲のカバーなのですが、原曲より数段素敵です。
オリジナル曲よりカバー曲の方が圧倒的に素晴らしいと思える事って滅多に無いとおもいません?
この曲は数少ない、そういう曲なのです。

2008年8月3日日曜日

STAR WARS

小学生の頃、友人の島田君が休み時間に「今度、メチャメチャ大きい戦車が出てくる映画やるらしい」と言ってきました。
「へぇー、すごいなぁ」と、当時の私も勝手に大きさを想像しながら驚いていましたが、その話もすっかり忘れて中学生になった時、たまたま父親から招待券をもらって観た映画で、島田君との話を思い出しました。
それが、STAR WARS
いやぁ、衝撃でしたねぇ。
頂いた招待券というのが、大阪のOS劇場というシネラマスコープ上映(だったかな)方式の映画館。
普段めったに映画館で映画なんか観ない子供が、普通の映画館よりも大きなスクリーンで、過去に無いスケールの映像とストーリーの映画を観る。
「すごいモノ観てしもた」
みたいな気持ちになって興奮しながらエンドロールを名残惜しげに眺めていた事を今でもはっきり覚えています。
思い返せば過去に何度か、衝撃を受けるくらいの文化に触れた事があるのですが、そういう経験ってありがたいですよね。
スター・ウォーズも間違いなくそのうちの貴重なひとつ。
素敵な経験をありがとう、父さん。
スター・ウォーズに関して言えば、実はもうひとつ衝撃的な文化に触れる事が出来ました。
2作目(エピソード5)のポスターを描いた日本人画家、生頼範義(NORIYOSHI ORAI)師匠との出会いがそれ。
私がイラストレーターになりたいと、初めて自分の将来について考えるきっかけになりました。(結局なれませんでしたが)
こんな素敵な影響を私に与え続けているスター・ウォーズ、6作ありますが、お勧めは文句無く1作目(エピソード4)。
理由は簡単、この1本だけでストーリーが完結するから^^

2008年8月2日土曜日

OZZY OSBOURNE

今回はブラック・サバスではなくソロ名義のバンドのほうをご紹介。
ギタリストに対して非常に「鼻が利く」OZZY OSBOURNE師匠。
ランディー師匠、ジェイク師匠、ザック師匠、一時的なヘルプとしてはブラッド師匠やスティーブ師匠まで有能なギタリストを発掘する事にかけては見事に才能を発揮しています。
将来を有望視されながらも事故で亡くなった事へのオマージュも含めて現在でもランディー・ローズ在籍時の、ソロ名義最初の2作について語られる事が多いのですが、では他の2名が駄目なのかといえば
・・・とんでもありません。
このソロ名義のバンドの音は、ギタリストとその時代が非常にわかりやすく反映しているのです。
ランディー師匠の曲はハードロックが世界規模になる直前、程よくシャープでブリティッシュなサウンド。
ジェイク師匠の音は、正に全盛だったメタルシーンの特徴である乾いたスタイリッシュリフのオンパレード。
ザック師匠は、音自体が非常に骨太でオールドロックのテイストがそちこちにちりばめられています。
よくよく考えると、ソロ名義でこれだけギタリストの色を反映させてるバンドって、他に無いような気がします。
そりゃギタリストにとってはやりがいありますよね、そこまで好きにさせてくれりゃあ。
お勧め曲は「MOTHER EARTH」、この曲のエンディングへ向けての盛り上がりはちょっと言葉を失いますよ。
ギターはやっぱりランディー師匠なんですが^^;

2008年8月1日金曜日

THE CROW

はい、今回は映画「THE CROW」でごわす。
私が敬愛するBRUCE LEE師匠のお子さん、ブランドン師匠の遺作です。
ブランドン師匠が死んでいなければ恐らく観なかったと思いますが、映画自体の完成度からブランドン師匠の死にまつわる話まで、とにかくいろんな意味で「よく出来ている」映画と言えます。
まず映画そのものが面白い。ただ、なぜ面白いのか自分でもよく判りません。
突飛なストーリーでもなく、凄いアクションでもなく・・・
けど、面白い^^
ひとつは、画面全体を支配している「ムード」かも知れません。
ロックが好きな人には特にお勧めします。

主役のブランドン師匠がこの映画の撮影中に死んだので、最新のCGなどを使って完成させたそうです。
お父さんの遺作「死亡遊戯」も、同じ方法で作り直してもらえませんか?
あまりソックリじゃないそっくりさんと、前の映画のつぎはぎではブルース師匠が可愛そう過ぎます。

そして上にも書きましたが、主役のブランドン師匠がこの映画の撮影中、空砲で撃つハズのシーンで、なぜか実弾で撃たれたそうです。
ちょっとゾッとしますね。
父であるブルース師匠の映画のワンシーンそっくりじゃないですか。
誰かが何かを狙っての巧妙な「何か」なのでしょうか?「大人の事情」にしても怖すぎですね。

2008年7月31日木曜日

VAN HALEN

いやいや、いつ聴いても燃えますなぁ、ヴァン・ヘイレンは。
初めて知った時にはもう「JUMP」がMTVで流れまくってる頃でした。
だもんで最初に買ったアルバムはもちろん「JUMP」が入ってるやつ・・・ではなく、ファーストアルバムです^^
・・・ビビリましたね。
あのギターのアグレッシブさ、他のギタリストとは元々一段違う所に立ってるのかと思わせる自由さ。
私がそのアルバムを聴いたのは、発売されて既に7~8年は経っていたと思うので、それに影響を受けてプロになったようなフォロワーが既に世界中にあふれていました。
発売当初に、何の前知識も無くこのアルバムを聴いた人達は相当ショックを受けたのだろうと思えます。
きっと私が大友克洋の「童夢」を読んだ時みたいだったんだろうなぁ・・って、伝わりにくいですか^^

さて私にとってのVAN HALENで、ギターと並んで重要なのはヴォーカルのデイブ師匠。
なんでしょうね、この人は。
この人、私にはオジー師匠と同じ香りがするんですよね。
私は元々「上手い」とか「凄い」とか技術的に秀でた人のその部分を好む傾向が強いんですが、このお二人だけは例外なんです。
歌、上手くない。
けど、誰も同じようには歌えない。
これが「味」っちゅうやつなんですねぇ^^
お勧め曲はファーストアルバムの「I`M THE ONE」いい曲なのに意外と冷遇されてますよね。

2008年7月30日水曜日

ARETHA FRANKLIN

私が中学生の頃、THE BRUES BROTHERSという映画が上映されました。その中でソウルフード屋の女将をしてたのがこの人、ARETHA FRANKLIN
言わずと知れたSOULの女王。
しかし当時の私はテレビやラジオから勝手に流れてくる日本の曲にしか興味が無く、(ちなみにピンクレディー、ミーちゃん派^^)ソウルというジャンルがある事すら知りませんでしたのでアレサの顔と名前が一致したのは、それからずいぶん後になります。
ビビリますよね、あの歌のうまさ。
ソウルを歌う人には、幼い頃から教会でゴスペルを歌ってきたという経緯を持つ人が多く、アレサもその一人なのですが改めて歌を聴いた時の上手さへの衝撃と、何でこういう人を今まで知らないまま生きてこれたのだろうという疑問、今でも忘れられません。
一応その後、なぜ今まで知らなかったのかという疑問だけは解決しました。
1、私はロックを中心に聴いていた
2、ソウルシンガーの多くは幼い頃から教会で歌ってる、いわば叩き上げの実力者
3、教会で歌うという事は、敬虔なクリスチャンであり、神様の為に歌っている
4、ドクロのTシャツを着て退廃的な歌は歌わない
5、ロックヴォーカリストにはならず、結果的に私の耳には届かない
ね、解決するでしょ?^^;
お勧め曲は色々あるのですが、ここはやっぱり映画でも歌ってる「THINK」ですかねぇ。
アレサのアルバムに入ってる方では無く、映画のサントラの方です。
テンポの「吹っ切れ感」が最高です。
一日でも長生きして歌い続けて欲しいですね。

2008年7月29日火曜日

BEST ALBUM

今回は「ベストアルバム」との付き合い方について。
あなたは好きなアーティストのベストアルバム、聴きますか?
私はよく聴きました。
好きなアーティストがベストアルバムを出せば収録曲がカブッてても買うし、ちょっと気になるバンドがあったら、とりあえずベストアルバムを買ってみます。
今まで散々買っておいてこんな事を書くのもどうかと思うのですが^^気になるバンドのベストアルバムは買わない方がいい、と最近は思っています。
アーティストにもよりますが、ベストアルバムというのは便利なもので代表曲やヒット曲が網羅されています。
ちょっと気になるアーティストの事を手っ取り早く知りたいという時には本当に便利な存在です。

けど、ベストから入ると、そこから発展しなくなりませんか?
気に入ったらオリジナルアルバムも聴いてみようと思って購入するんだけど実際にオリジナルに足を踏み入れる事になるアーティストって少ないですよね。
それはベストアルバムで充分だと感じたからなのかも知れませんが実はそうでは無い。

オリジナルアルバムから入ってベストを聴いた時、ある「不満」が出ますよね?
「あれ?あの曲は入ってないの?」って。
自分にとっての「ベストソング」が市販のベストアルバムに入ってない事を経験から知ってるはずなのに、ベストアルバムから入るとその事を忘れちゃう。
もったいないですよね、それって。
気になるアーティストがいたら、まず自分の勘を信じてオリジナルアルバムから聴いてほしい。

2008年7月28日月曜日

VOW WOW

BOW WOWでもBOW WOW WOWでもありません、VOW WOWです。
1980年代のJAPANESE HEAVYMUSICではLOUDNESSが有名ですが、私は圧倒的にヴァウ・ワウ派でした。
アルバムの三作目が当時のヤングギターでレビューされていて、そこに「今年のベストアルバム候補」みたいな書かれ方をしてたんでそれを鵜呑みにして即購入^^

初めて聴いた時の衝撃はちょっと忘れられないですね、「ええっ?ホンマに日本人なん?」みたいな感じ。
げんき師匠のヴォーカルは、その声量といい英語の発音といい他の日本人ヴォーカリストとの圧倒的な差を見せ付けられた感じでした。
れい師匠のドラマチックな作曲やキーボード、きょうじ師匠のメロディックなギターソロも心に響きまくりです。

洋の内外を問わず、このバンドが出す音の特徴は一言で言えば「曲に湿り気がある」という事。
アメリカでもなく、イギリスでもなく、日本の風土に根ざしてるとしか思えない独特の「湿度」が全篇に含まれている感じがするんですよね。
ほんと、特異だと思います。同じ「空気感」を漂わせるバンドを私は未だに見た事がありません。

ハードな音がお好みのあなたには、私が最初に聴いたアルバムの3枚目がお勧めですが、アルバムとして曲のツブが揃ってるなぁと思うのは断然4枚目です。
なんせ収録曲の「平均点」が高いのなんのって。
ベストアルバム常連曲以外のお勧めとしては「WAR MAN」「GIRL IN RED」あたりが私の心を捉えて放さないですね。

2008年7月27日日曜日

LED ZEPPELIN

昨年の再結成ライブも記憶に新しいLED ZEPPELINですが、もう20年近く「私が好きなROCK BAND TOP3」に君臨しています。
ただ、好きになったのは多感な青春時代・・・では無く、成人した後だったんですよ。
大学の時、ZEP大好きと公言する時井君という友人がいましてやたらと薦めてくるんですが、その時は「はいはい」みたいな感じで流していました^^
社会人になって何の気なしに当時本屋で売ってた1000円CDを購入して聴いてみると、これが・・・

「良かった^^」

けど、衝撃的に良かったわけじゃなく、ジワジワ、ほんとジワジワっと好きになっていき、今や不動のTOP3^^
ベストアルバム常連の歴史的名曲群ももちろん好きなんだけど何故か何度ベストを出しても(ホント、出してるのよ何度も)全くその選曲に引っ掛からない隠れた名曲がまた堪りません。
THE ROVER」や「SICK AGAIN」、まだの方は是非一度お試しください。ベストアルバムしか聴いた事がない人、もったいないですよ。
あと、ライブDVDは是非観て欲しいですね。
当時ビートルズが30分しかライブをしなかった時代に3~4時間も延々とやってた変態バンドの真骨頂は、やはり映像で確認して欲しい^^

最後にこれはどうでもいい事ですが、ZEPのライブ写真を初めて見た時最初にこのバンドを見たのは実は小学生の頃だったという事も判明しました。
小学生の頃読んでいて、今でも「私が好きな漫画 TOP3」に入ってる「マカロニほうれん荘」にいっぱい出てました^^
ありがとう、鴨川つばめ先生。