2008年9月18日木曜日

Sam Cooke サム・クック

私にとっての印象は、以外にもナット・キング・コールと同じ。
「丁寧に、丹精に歌うなぁ」というのが最初の感想でした。

サム・クック(Sam Cooke、Samuel Cook、1931年1月22日-
1964年12月11日)はアメリカのソウル(soul music)/R&B(rhythm and blues)の歌手。

略歴

ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。
後に家族とともにシカゴに移住。
父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。
19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズの
リードボーカルとなり、端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。
1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。
これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、
発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。
それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された
音楽性が持ち味で、白人層からの人気も高かった。

1958年にはマネージャーのJ.W.アレクサンダーとともに音楽出版社を設立。
後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、
黒人のアーティストは曲を作っても満足な対価を得られず、
白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、
自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。

かようにクックは黒人の権利に対する意識が高く、
公民権運動にも積極的な関わりを持ち、Malcolm XマルコムXや
"The Greatest" Muhammad Aliモハメド・アリとも親交を深める。
1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は
人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。

1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺される。
享年33。
その死を巡っては謎も多いといわれる。
(モーテルに連れ込んだ売春婦に金や服を盗まれ、
仕方なく裸で売春婦を追いかけ、その後銃で撃たれたとの説もあり)

影響

R&Bにゴスペルの感覚を持ち込んだ歌唱スタイルは、
ソウル・ミュージックというジャンルの隆盛に大きく貢献した。
また、作詞・作曲にも長け、様々なジャンルのアーティストが
カバーを取り上げている。下はその一部。

ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム - Otis Reddingオーティス・レディング、Aretha Franklinアレサ・フランクリンがカバー

シェイク - Otis Reddingオーティス・レディング、Small Facesスモール・フェイセズがカバー

ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー - John Lennonジョン・レノンがカバー

ユー・センド・ミー - Fairground Attractionフェアーグラウンド・アトラクションがカバー

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